2018年 11月 15日
南国土佐をあとにして、よさこい節 |
石窯的オーヴンのところで書いたけれど、パンを焼いたあとの余熱で、電力投入なしでスープ用の丸鶏(ローストチキン用ではなくて、もっぱらスープの出しを取るための鶏)を煮出した。
ビオ農業で育てられた鶏で、脂肪はまったくなし、まるで野原を駆け回って長いこと生きていた鶏のなきがらのようだった。
ブロイラーのブヨブヨやわらかいだけが取り柄のチミンとは全然違う。
これは、航空料金がまだとてつもなく高かった頃に利用していた、アエロフロート(ソ連、現在のロシアの航空会社)で出されていたチキンに似ている。
あのチキンはスープとしてでなく、ローストとして出てきたので、ナイフで切るのも難しいほど硬かった。
それでもめげずに、何百回も噛み締めていると、いい味が出てきた。
水っぽいブロイラーの鶏にはない味だった。
今回はオーブンの余熱でゆっくり煮たおかげで、肉はちゃんと噛めるほどにやわらかくなった。
出しがあんまり美味しいので、フォーを作ることにした。
ヴェトナムのハノイで食べたフォーは、忘れられない。
さっぱりしているのに、味が濃いというか、蕎麦やラーメンとは違った美味しさが好きだ。
フォーの乾麺や青梗菜やモヤシを買うために、中央駅にある大きなアジア食料品店(中国人の店)に行った。
青梗菜は普通のスーパーでも売っているけれど、モヤシはアジアショップでしか入手できないの。
店内を歩いていて、「さぬきうどん」と書かれたパック入り茹で麺(冷蔵庫に入っていないところが恐ろしい)を手に取った瞬間、店内のスピーカーから、遠い昔に聞き馴染んだメロディーが流れてきた。
歌なしで、アコーディオンがメロディーを奏でているだけ。
何という歌だか、とっさには出てこなかったのに、メロディーにのって歌詞が自然に口に出てきた(と言っても頭の中でだけ、周りのドイツ人客や中国人店員が聞いたら!!)。
さっき手に取った「さぬきうどん」は棚に戻して、メロディーを聞きながら、フォーを探した。
これは、子供の頃に至るところで流れてきた歌で、実家では歌謡曲ご法度だったはずなのに、私は歌詞を覚えている。
出されたのは昭和34年だって!半世紀以上も昔のことなんだ。
その歌のメロディーを、遠く離れたドイツの、しかも中国人の店で聞くとはね。
一瞬、シュンとなった瞬間だった。
南国土佐の後には、同じアコーディオンの演奏で中国の歌謡曲らしい曲のメロディーが流れてきた。
だから、このCD?は中国人用の商品らしいけれど、その中に大昔に日本で流行った歌謡曲のメロディーが入っているのが面白い。
土左の高知は、四国で一番好きな所。
毎回、あの地に着いた瞬間に、何だか解放された気分になった。
お魚も自然も美しく、町の雰囲気も好きだ。
余談だけれど、子供の頃、よさこい節の「坊さん、かんざし買うをみる」というくだりが、どうして歌詞になるほどの意味を持つのかがわからなかった。
by Solar18
| 2018-11-15 00:59
| 料理・パン・ケーキ
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