2023年 01月 23日
誕生日の子供 |
まずは、呑気な話なんだけど。
近々、相棒は80歳の誕生日を迎える。
何度も書いているけれど、
こちらでは誕生日を迎える人を
周囲が祝ってあげるのではなくて、
誕生日を迎える本人(「誕生日の子供」と呼ばれる)が
友達や家族を招待してする。
日本のような還暦や古希などを周囲の人たちが
盛大に祝ってあげるのとは大違い。
特に20、30、、、など年齢の節目は、
本人がたくさんの人を招待して祝うのが
周囲から期待される。
私は60の時も70の時も外国に旅行して
逃げ出した。
ただ、20年余り前にドイツに帰化した時には、
三日がかりで料理を作って、
20人以上の友達を招いた。
友達のドリスは70歳になった時、
お金もないのにレストランを借り切って、
何十人もの友人や親族を招いて、
2日がかりで祝った。
相棒は誕生日を前にして、頭を抱えた。
元々、誕生日を祝うのは好きではないのだ。
いつも10歳ぐらい若いフリしてるし
(誰もが信じてくれるので、ますますいい気になって)、
誕生日に「ところで君、いくつになったの?」と
聞かれるのが嫌なのだ。
それでも結局、招かずにはすまない人
(娘、息子、姉、旧友など)10人ほどを、
豪華ではないけれどちょっと感じの良い
郊外のレストランに招待することで落ち着いた。
誕生日のことで毎年、頭を悩ませるなんて、
矛盾しているとも思えるけれど、
でも、こんな悩みをもてるということが
幸せの証拠かもしれない。
話変わって。
ドイツの現在の首相はウクライナへの戦車供与を
長い間ためらっていて、マスコミや野党(保守系)から
批判を受けてきた。
ヨーロッパでドイツは「指導的な役割」を果たすべきだと。
でもねえ、戦争で指導的な役割を果たすことは
本当に必要なのかな。
それが平和交渉に繋がるんだろうか。
昨日、バート・ランカスター主演の「大列車作戦」(1964年)を
久しぶりにまたテレビで観た。
ドイツ軍がフランスで、ちょっとでも抵抗した現地人を
裁判にもかけずに、
あるいは全く罪のない市民をも
気分次第で銃殺する場面がしばしば出てくる。
この映画はフィクションだとしても、
こうした戦犯行為は実際にしばしば行われていた。
ドイツは戦後、戦争責任を公言し、
いまだに自らの罪を認めている。
それでも、過去に大きな過ちを犯した国が
ヨーロッパで軍事的に指導的な役割を果たすのは
少なくとも一部の国や人の意識を逆撫でしたり、
挑発する結果にならないのだろうか。
こんなことで平和交渉がいつか実現するのだろうか。
by Solar18
| 2023-01-23 23:50
| ヨーロッパの国民性
|
Trackback
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Comments(10)
私もまもなく80です。日本にいてよかったかな。その日本がしきりに指導的役割を果たしたがっているようでハラハラしてます。
3
> saheizi-inokoriさん
どこの国にいれば良かったかな、と相棒と話したのですが、名案は浮かびませんでした。カナダかな?
どこの国にいれば良かったかな、と相棒と話したのですが、名案は浮かびませんでした。カナダかな?
> botanporscheさん
カサンドラ クロスってどんな映画でしたかね。テレビで観たかも知れないです。
カサンドラ クロスってどんな映画でしたかね。テレビで観たかも知れないです。
スイス・ジュネーヴの国際保健機構本部に、医者と救急患者に変装した三人のテロリストが潜入した。彼らはアメリカセクションの爆破を目論むが、セクションのガードマンが瀕死の重傷を負いつつもテロリストの一人を射殺して警報を鳴らしたことで失敗に終わり、駆け付けたガードマンとの間で銃撃戦となる。残りの二人は様々な細菌類が保存されている立入禁止の部屋へ逃げ込むが、ガードマンの銃撃で一人が負傷し、流れ弾によって棚にあったビンが破損し内部の液体が二人にかかる。二人のテロリストのうち無傷のエクランドはそのまま負傷した仲間を見捨てて逃亡し、ジュネーブ発ストックホルム行きの国際列車へと逃げ込んだ。
・・・・
・・・・
そうして密閉作業を完了させ、警備兼監視役のアメリカ軍兵士達と酸素供給装置を乗せた列車はポーランドに向けて発車する。隔離施設に向かう途中で「カサンドラ・クロス」と通称される橋梁を通過することを知ったカプランは絶望し、再びパニックに陥る。カサンドラ・クロスはヤノフへ向かう鉄道路線上にある巨大な鋼鉄製のアーチ橋だが、1948年に廃線となり崩落の危険性が指摘されている場所であった。マッケンジーは良心の呵責に苛まれつつも、老朽化したカサンドラ・クロスにわざと列車を進入させ、乗客や監視兵もろとも崩落させることで、事故に見せかけて事実を封印するつもりだったのである。
Wikiコピペしただけです。
・・・・
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そうして密閉作業を完了させ、警備兼監視役のアメリカ軍兵士達と酸素供給装置を乗せた列車はポーランドに向けて発車する。隔離施設に向かう途中で「カサンドラ・クロス」と通称される橋梁を通過することを知ったカプランは絶望し、再びパニックに陥る。カサンドラ・クロスはヤノフへ向かう鉄道路線上にある巨大な鋼鉄製のアーチ橋だが、1948年に廃線となり崩落の危険性が指摘されている場所であった。マッケンジーは良心の呵責に苛まれつつも、老朽化したカサンドラ・クロスにわざと列車を進入させ、乗客や監視兵もろとも崩落させることで、事故に見せかけて事実を封印するつもりだったのである。
Wikiコピペしただけです。
鍵コメです。
シュルツ首相は本当は先頭に立ちたく無いのです、
しかしそれではロシアの味方と言われてしまいます。
今はどっちかしか無いのでしょうね。
ポーランドはドイツが承認しなくても戦車を供与すると言ってます。
この戦車は整備が大変で、ただ貸すだけでは無いのです。
ずっとドイツがウクライナと関わることになるかも知れません。
アメリカの戦車も同じくです。
ただ今のロシアを放っておくと次はポーランドと…
元はといえば、米国のO大統領の時に発端がある様に思います。
英国でロシアのスパイは要人の殺人を勝手気ままにしてますが、
最近 中国が外国に勝手に中国警察を作って、問題発言をする中国人や、そこの国の人も逮捕するのです。
約30カ国、日本にもしっかりあるので、言動に気をつけています。身近なところにある恐怖です。
カサンドラクロス、この映画は私も見ました。
これを見てから高所恐怖症に拍車が掛かりました。
シュルツ首相は本当は先頭に立ちたく無いのです、
しかしそれではロシアの味方と言われてしまいます。
今はどっちかしか無いのでしょうね。
ポーランドはドイツが承認しなくても戦車を供与すると言ってます。
この戦車は整備が大変で、ただ貸すだけでは無いのです。
ずっとドイツがウクライナと関わることになるかも知れません。
アメリカの戦車も同じくです。
ただ今のロシアを放っておくと次はポーランドと…
元はといえば、米国のO大統領の時に発端がある様に思います。
英国でロシアのスパイは要人の殺人を勝手気ままにしてますが、
最近 中国が外国に勝手に中国警察を作って、問題発言をする中国人や、そこの国の人も逮捕するのです。
約30カ国、日本にもしっかりあるので、言動に気をつけています。身近なところにある恐怖です。
カサンドラクロス、この映画は私も見ました。
これを見てから高所恐怖症に拍車が掛かりました。
鍵コメさん
ドイツが先頭に立ちたくないのは誰の目にも明白です。アメリカが「送る」と言うのを待っていたのです。
戦車はすぐにウクライナが使えるようなものではなくて、夏まで時間がかかるとか。
そんなもの送って、役に立つんでしょうかね。それとドイツ自体に戦車が足りなくなるとか。
これまで大金を軍事に出していたのに、それらの金はコンサルタント用などで消えてしまったようです。
長期的にはドイツはロシアとなんとか仲良くやっていかなければならないはずです。お隣に近いし、経済的な依存関係も大きいし、ロシア系のドイツ人もたくさんいるし、歴史的にもロシアには大きな負い目を負っているし、、、、。まあ、プーティンがいる限りは無理でしょうが。
私は戦争という、大きなエネルギーと資源の無駄が嫌いです。
地球に住む人間の数が減るからいい、などというシニカルなことは言いません。
カサンドラクロス、もう観なくてもいいわ。高所恐怖症の夢はしょっちゅう見るので。
ドイツが先頭に立ちたくないのは誰の目にも明白です。アメリカが「送る」と言うのを待っていたのです。
戦車はすぐにウクライナが使えるようなものではなくて、夏まで時間がかかるとか。
そんなもの送って、役に立つんでしょうかね。それとドイツ自体に戦車が足りなくなるとか。
これまで大金を軍事に出していたのに、それらの金はコンサルタント用などで消えてしまったようです。
長期的にはドイツはロシアとなんとか仲良くやっていかなければならないはずです。お隣に近いし、経済的な依存関係も大きいし、ロシア系のドイツ人もたくさんいるし、歴史的にもロシアには大きな負い目を負っているし、、、、。まあ、プーティンがいる限りは無理でしょうが。
私は戦争という、大きなエネルギーと資源の無駄が嫌いです。
地球に住む人間の数が減るからいい、などというシニカルなことは言いません。
カサンドラクロス、もう観なくてもいいわ。高所恐怖症の夢はしょっちゅう見るので。
> shisouanさん
私は実は、誕生日が母親に感謝する日だと思ったことはないんです(日本にいた頃も)。
そもそも親に対する感謝の念が薄いもので(これは祖父母の代からの傾向らしいです)。
誕生日がこんなに大事、という習慣もどこか鬱陶しいです。
私は実は、誕生日が母親に感謝する日だと思ったことはないんです(日本にいた頃も)。
そもそも親に対する感謝の念が薄いもので(これは祖父母の代からの傾向らしいです)。
誕生日がこんなに大事、という習慣もどこか鬱陶しいです。