2023年 01月 26日
牛や羊なら良くて、、、。 |
前回書いた、
相棒の誕生日晩餐を皆が食べ終わった頃に
もう来ないだろうと思っていたGさん(ここで書いた面白い人)
が、「ハッローッ」とにこやかにやって来た。
犬たちの世話に手がかかって、これ以上早くは
来ることができなかったのだという。
それで、会場を相棒姉(美味しいワインをたくさん蓄えている)の
住まい(彼の下の階)に移して、
Gさんは相棒姉から、美味しい豪華なチーズ各種や、
私がその日に焼いたばかりのパンを振る舞われることになった。
Gさんは古い農場を借りて、犬たちと暮らしている。
犬のペンションだけでなく、
犬の精神療法士の資格も取った。
以前はペンションで預かる犬の方が多かったけれど、
今では、彼女が引き取った犬が10頭、
客から預かっているのは5頭だけだそうだ。
彼女が引き取って飼っているのは、
人間の非業な仕打ちのためにトラウマ化して
人に噛み付くようになったり、
人や社会を怖がったりなど、
行動が人間の都合とは合わなくなった犬たちだ。
男性を見ると噛み付く犬、
上から頭を撫でられると、
かつての仕打ちが心に蘇えるためか、
攻撃的になる犬、、、。
ある犬は、ロシアの中国との国境に近い所にある
「食用犬」用の檻に、他の犬と共に閉じ込められていた。
犬たちは一頭、また一頭と檻から出され、
屠殺に送られていた。
連れ出される犬は自分の運命を予感できるらしくて
悲痛な声を上げ、檻に残る他の犬たちは
その声に怯えた。
檻に最後に残ったのがこの犬。
危うく屠殺に送られるところを
動物愛護団体に助け出され、
長い道を経て、
ついにGさんの所に辿り着いたのだ。
着いたばかりの時は
この犬は、もちろん怖がって、家の隅に隠れて
出てこようとはしなかった。
Gさんに慣れ、Gさんを信頼するようになるまでには
何ヶ月もかかったという。
今でもこの犬はGさんとだけ触れ合うことができるそうだ。
この話を聞くと、誰もが涙を流しそうになり、
「なんて可哀想」「犬を食用にするなんて」
などと反応する。私も同じ。
それはもっともなんだけど。
でもさあ、私たち牛も豚も羊も鶏も兎(こちらでは)
飼っては殺し、飼っては殺しを日常続けてるわけで、、。
それどころか野生動物だって殺して食べてるわけで、、、。
自分のことを考えただけでも、明らかだ。
野原で草を喰む子羊を見て、「あら、美味しそうなラム」
なんて、思わずつぶやいてしまうのだから、、、。
ペット用に育種された犬や猫だと可哀想で、
食用に育種された牛や豚なら
気持ち悪くもなければ、可哀想でもない、
と言う感覚に慣れきっている自分が恐ろしい。
30年ぐらい前、
友達や娘と一緒にチュニジアの砂漠を走っていて
「ラム肉」の旗を下げた小屋を見つけた。
3人の若者は、
私たちの注文を受けるとすぐに小屋の裏で、
さっきまでピンピン跳ね回っていた子羊を殺し、
て早く捌いて、肉を焼いた。
私たちは「気持ち悪い」とも「可哀想」とも
言わずに、「この肉硬いなあ」などと文句を言いながら
ムシャムシャ食べた。
私たちの食べっぷりを見守っていた3人の若者は
たどたどしい英語で「大学に行って勉強したい」と
夢見るように言っていた。
そんな私が、このトラウマ犬のことを
「可哀想」と同情するのは、
やっぱり偽善じゃないか?
だから素直に頷けなかった。
by Solar18
| 2023-01-26 19:37
| 自然との付き合い
|
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|
Comments(10)
人間ってやっぱり勝手なもんですね。(自分も含む)
ちなみに、牛も連れて行かれるって分かるから、ものすごい鳴き方するって聞きますね。それを知ると胸が締め付けられます。
私はあんまり、ほとんど牛肉は食べません。ごくたまに、です。
まぁ、矛盾だらけですわ。
ちなみに、牛も連れて行かれるって分かるから、ものすごい鳴き方するって聞きますね。それを知ると胸が締め付けられます。
私はあんまり、ほとんど牛肉は食べません。ごくたまに、です。
まぁ、矛盾だらけですわ。
3
私も何かにつけて同じようなことが頭に浮かびます。
牛や豚を飼育する農家の姿をたびたびテレビで観ますがどんな気持ちなのだろうといつも思います。
昔中国へ行った時大型犬がどんどん買われていました。番犬?と聞いたら食用だと教えられショックでした。数十年前のことなのに、自転車に引かれて嬉しそうに尻尾を振りながら歩いていた後ろ姿を今でも覚えています。
野生では肉食動物が草食動物を狩るのは当たり前の姿です。
牛や鶏が可哀そうだと思うのは人間の脳が発達したからかもと考える時があります。
その代わりに犬や猫をペットにして人間と同様に扱っている。
子供の時に父から散々言われて忘れないのは「動物も植物も人間に食べられるために生きているわけではない、それを殺して食べるのだから、せめて絶対残さないことが殺された動物や野菜に対する償いになる」と。
子供の偏食防止の言葉でしょうね。
たまにかなり元の形が残っている肉を食べる時があります、そういう時は自然に「ごめんね」と声が出てしまいます。
残せないので、他の人が残した分を押し付けられて気持ち悪くなっても必死で食べたことも。もし残したら帰る時にウエイターさんについ謝ってしまいます。
水の中の魚にはそれほどの思い入れを感じないのは何故、 そんなことも考えます。
飢えれば人間まで食べるんですから、人間はただの雑食動物なんですよ、他の種を可哀そうだと思うほどの存在ではないのかも。
牛や豚を飼育する農家の姿をたびたびテレビで観ますがどんな気持ちなのだろうといつも思います。
昔中国へ行った時大型犬がどんどん買われていました。番犬?と聞いたら食用だと教えられショックでした。数十年前のことなのに、自転車に引かれて嬉しそうに尻尾を振りながら歩いていた後ろ姿を今でも覚えています。
野生では肉食動物が草食動物を狩るのは当たり前の姿です。
牛や鶏が可哀そうだと思うのは人間の脳が発達したからかもと考える時があります。
その代わりに犬や猫をペットにして人間と同様に扱っている。
子供の時に父から散々言われて忘れないのは「動物も植物も人間に食べられるために生きているわけではない、それを殺して食べるのだから、せめて絶対残さないことが殺された動物や野菜に対する償いになる」と。
子供の偏食防止の言葉でしょうね。
たまにかなり元の形が残っている肉を食べる時があります、そういう時は自然に「ごめんね」と声が出てしまいます。
残せないので、他の人が残した分を押し付けられて気持ち悪くなっても必死で食べたことも。もし残したら帰る時にウエイターさんについ謝ってしまいます。
水の中の魚にはそれほどの思い入れを感じないのは何故、 そんなことも考えます。
飢えれば人間まで食べるんですから、人間はただの雑食動物なんですよ、他の種を可哀そうだと思うほどの存在ではないのかも。
> baobab20_z21さん
そう、自分のことを振り返っただけでも矛盾だらけで、嫌になりながらも、一向に変わりません。
動物は、人間が思っているよりもずっと頭が良くて、「感情」もあるのでしょうね。
そう、自分のことを振り返っただけでも矛盾だらけで、嫌になりながらも、一向に変わりません。
動物は、人間が思っているよりもずっと頭が良くて、「感情」もあるのでしょうね。
> ebloさん
ああ、中国では本当にそうなんですね。一昨日、ある友から「日本では犬を食べるんだろ」と聞かれて、思わずムッとしました。
野生の肉食動物が生存のために草食獣を食べるのは、可哀想だとは思いません。彼らは人間とは違って、必要以上は食べないから(非常時のためにちょっと貯めておくことはあっても)。それと、生態系が人間なしでうまく機能している間は、ある程度の草食動物を肉食動物が捕らえることで、数の均衡が保たれていたわけですし。
お父様の仰ったことはまさに正論ですね。
私はしっかり形が残っている肉が好きで、弟はひき肉の方が好きだったので、「なんて弱虫」と心の中で嘲笑っていました(とほほ)。
そうですね。飢えれば共食いもするのですから、人間があまり偉そうなことは言えないのだと、いつも自分を振り返っては、思っています。
それでも、お腹を満たす以上の食肉生産と廃棄は少しでも止められたら、良いと願っています。
ああ、中国では本当にそうなんですね。一昨日、ある友から「日本では犬を食べるんだろ」と聞かれて、思わずムッとしました。
野生の肉食動物が生存のために草食獣を食べるのは、可哀想だとは思いません。彼らは人間とは違って、必要以上は食べないから(非常時のためにちょっと貯めておくことはあっても)。それと、生態系が人間なしでうまく機能している間は、ある程度の草食動物を肉食動物が捕らえることで、数の均衡が保たれていたわけですし。
お父様の仰ったことはまさに正論ですね。
私はしっかり形が残っている肉が好きで、弟はひき肉の方が好きだったので、「なんて弱虫」と心の中で嘲笑っていました(とほほ)。
そうですね。飢えれば共食いもするのですから、人間があまり偉そうなことは言えないのだと、いつも自分を振り返っては、思っています。
それでも、お腹を満たす以上の食肉生産と廃棄は少しでも止められたら、良いと願っています。
>「ハッローッ」
Hを発音しないで、「アロー」って言う国の人、居ませんか?
Hを発音しないで、「アロー」って言う国の人、居ませんか?
食物連鎖で私たちは生きています。
植物にも微弱ですが感情があり、そう言う意味では
植物が咲き乱れる春が一番残酷な季節と、
題名は忘れましたが、半村良の小説に書いてました。
私達は鯨やイルカ、犬などは知能が高いから、
複雑な感情が見て取れて可哀想に思うのですね。
屠殺場で、豚はあまり反応しませんが、
可哀想に牛は涙を流すそうです。
本鮪や鯖を活け締めするのは、脳内物質が働くので
一瞬で締めないと、味が落ちるそうです。
食物連鎖の頂点に多分いる人間は、心して生きねばなりませんね。
植物にも微弱ですが感情があり、そう言う意味では
植物が咲き乱れる春が一番残酷な季節と、
題名は忘れましたが、半村良の小説に書いてました。
私達は鯨やイルカ、犬などは知能が高いから、
複雑な感情が見て取れて可哀想に思うのですね。
屠殺場で、豚はあまり反応しませんが、
可哀想に牛は涙を流すそうです。
本鮪や鯖を活け締めするのは、脳内物質が働くので
一瞬で締めないと、味が落ちるそうです。
食物連鎖の頂点に多分いる人間は、心して生きねばなりませんね。
> botanporscheさん
フランスが電話などで言う「もしもし」のアローね。ヘンリーと言う名前もアンリーだし。
私の耳にとって面白いのは、スペイン語の「オッラー」(ハロー)
スペイン語圏の旅行先で「オッラー」を聞くたびに思わずニヤッとしてしまいます。
フランスが電話などで言う「もしもし」のアローね。ヘンリーと言う名前もアンリーだし。
私の耳にとって面白いのは、スペイン語の「オッラー」(ハロー)
スペイン語圏の旅行先で「オッラー」を聞くたびに思わずニヤッとしてしまいます。
> cenepaseriさん
食物連鎖の極頂点にいる私たちは、どう見ても食べ過ぎだと思います(自分を振り返っただけでも!)。そして捨てすぎ。
樹木についての研究から、植物も、私たちの脳とは別の形ででしょうが、お互いにコミュニケーションし、動物などから触れられることでも「感情」のような反応をするということが知られてきたとか。だから、植物を撫でたり、言葉をかけることは、あながち無駄ではないのかも知れませんね。人間はまだまだ知らないことが多いのだと思います。
パセリ家のレモンやオリーヴの樹、そして蝶とのお付き合い、羨ましく拝見しています。
食物連鎖の極頂点にいる私たちは、どう見ても食べ過ぎだと思います(自分を振り返っただけでも!)。そして捨てすぎ。
樹木についての研究から、植物も、私たちの脳とは別の形ででしょうが、お互いにコミュニケーションし、動物などから触れられることでも「感情」のような反応をするということが知られてきたとか。だから、植物を撫でたり、言葉をかけることは、あながち無駄ではないのかも知れませんね。人間はまだまだ知らないことが多いのだと思います。
パセリ家のレモンやオリーヴの樹、そして蝶とのお付き合い、羨ましく拝見しています。
スペインでGeorgeのことをホルヘと言うのには驚きました。
そちらではゲオルグですかね?
奈良町のお食事処でフランス人家族が居たので、拙い英語で話したら・・
「アコネ」へ行って来たと。
それはハコネやろ、と申し上げました。
ホンダをオンダと言うやろ?と言いますと・・
うん、と。
そちらではゲオルグですかね?
奈良町のお食事処でフランス人家族が居たので、拙い英語で話したら・・
「アコネ」へ行って来たと。
それはハコネやろ、と申し上げました。
ホンダをオンダと言うやろ?と言いますと・・
うん、と。